ネットワークセキュリティやってます。技術よりも趣味と雑談が多めのブログです。最近はオンライン英会話にはまっています。
2025-01
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ガザと戦争なうな時期にイスラエルへ行ってきた。帰国2日後に、ベングリオン空港にハマスのロケット弾が着弾していて、危うく帰ってこれなかった。現在も停戦に至っていなく緊張状態が続いている。
マスゴミが過剰に煽っているが、テルアビブの市内だけで言えば極めて平穏で、すぐ側で戦争をしているとはおもえないぐらい平和でした。 とは言え、敵国に囲まれているイスラエルなのでセキュリティ意識は高く、平和だけど平和ボケしていない。 入国のときにしつこいほど質問され、パスポートの写真ではメガネがかけていなかったため、3分間ぐらいジロ見されてやな感じでした。 左:ライフルを背負った美女/右:ホテルのシェルタ しかし、アイアンドームってやつはすごかった。今回はアイアンドームのミサイルがハマスのロケット弾を迎撃する瞬間を3回も見れた。どんな感じかというと、空中でインベーターゲームをしているようだ。命中率が9割以上というのも実際に見て納得した。ロケット弾が飛んできたらサイレンが鳴り、すると全員がシェルタへ避難するが、イスラエル人曰く、あんなおもちゃ絶対当たらないだって。 テルアビブは金持ちが多いせいか、物価はとても高い。コーラーのペットボトルが7シェケルで約210円である。外食も高く、シーフードスパゲッティが80シェケルぐらいとられた。値段は高いが味はとてもいい。前菜がボリューミーがここの特徴で、最初は知らずに前菜をガツガツと食べたらメインディッシュがまったく食べれなかった。貧乏人が長居するようなところではないと感じた。 左:メインディッシュのケバブ/右:前菜(実際もっと多い) テルアビブはそんなに広くなく、移動はタクシーとバスでもいいが、レンタルサイクルも選択の一つである。至るところにセルフ式のレンタルサイクルが置いているのでとても利用しやすい。youtubeにチュートリアルビデオもあるので借りるにあたって参考にした。 半日ほど空き時間があったので、聖地エルサレムにも行ってきた。テルアビブに比べるとやや危険ではあるがこの時は何も起こらなかった。嘆きの壁に近づくにはキッパーとよばれるユダヤ教の帽子(ザビエルのアレに酷似)を被らないといけない。ピン止めしていないので風で何回も飛ばされ、飛ばされるたびに神への不敬として信者に殴られないかとビクビクしていた。死海も行きたかったが今回のスケジュールでは無理でした。 帰国2日前にウクライナとロシアの国境あたりで飛行機が撃墜されたこともあり、帰路のフライトでちょっとした揺れにいつもの10倍ぐらい敏感になっていた。あーおそロシア・・・アーメン。 やはり平和が一番!日本サイコー PR
9月10日(3日目)
泊:コロッセアテルマルホテル(パムッカレ) 昨日に続いて、朝からガイドが熱弁を奮っていた。今日のテーマは、トルコと日本の関係である。基本的にトルコ人は親日と言われていて、その理由は130年前の出来事に遡る。トルコから日本に航海してきた船が台風のために難破していしまい、当時の日本人が68人のトルコ人を救助しただけでなく、帰国までに面倒をみてあげたのがきっかけである。その後、トルコ人はずっとこの時の恩を忘れることがなかった。イラン・イラク戦争のとき、212人の邦人救助にトルコ航空が積極的に手助けたのも130年前の恩返しのつもりだったらしい。だが、そんな親日トルコでも、過去において一度だけ日本に苦言を呈したことがある。その内容とは、日本での”トルコ風呂”が誤解されている意味となっていることである。このクレーム以降では、”トルコ風呂”が”ソープランド”へと変った。ちなみに、トルコで有名な日本人は山田虎次郎と小泉首相である。前者はあまり馴染みのないお方であるが、難破事件で献身的にトルコ人の支援をされたことでトルコでは有名で、今のトルコの小学校でも当時の出来事が教科書に載っているらしいので、トルコ人は小さいごろから遠い日本という国にたいして親近感をもっている。 この日のメインは、エフェソス遺跡の観光で、途中にイズミール市内のコナック広場にわずかであるが30分ほどの自由時間があった。写真は適当に撮って、スィミット(1.25TL)とよばれるリング状のゴマパンとチョコレート数個はを購入した。どうもバスが停まる休憩所の売店は、腹が立つほどの高値で観光客に売りつけている。だから、この貴重な自由時間でできるだけ買い物をした。法外な値段の一例をアイランとよばれるトルコのヨーグルトでいうと、バス休憩所の5TLにたいして市中スーパーでは0.5TLである。まったく同じメーカーで同じ容器のものである。いくら親日とはいっても、さすがに親”金”には勝てないようだ。 エフェソス遺跡で印象に残ったのは、猫が多いこと。観光客慣れしているせいか、触ってもまったく動じない。猫カフェでもこんなに触らせてくれないので、自然と遺跡をみるよりも猫を見つけることに趣を置いてしまう。遺跡で印象深かった点は、エルメスやナイキのロゴマークの由来が遺跡の模様からきていることぐらいである。 ホテルへ戻る途中に、革製品の店に連れて行かれた。まったく興味はないが、ツアーなのでしかたない。商品を見せる前に、ミニファッションショーが無料ジュース付きで催された。ツアー客のなかからムッツリとしたおっちゃんがステージお上に引っ張り出されて、モデルと手を組んでいやいやながら歩いていたのがおかしかった。ショーのあとに、日本語ペラペラのトルコおじさんが、ジョークを交えながら商品をツアー客に猛烈にアピールしていた。どこでそんなユーモアが溢れるセールストークを習得したのかが謎である。おそらく、日本のテレフォンショッピングに出れるぐらいの腕前である。どうでもいいところで逸材を発見できた1日でした。
9月9日(2日目)
泊:グランドテミゼルホテル(アイワルク) 鉄道インフラがあまり整っていないトルコでは、バスが移動手段の主役となっている。バス会社間の競争が激しく、ゆえにサービスも良いとの評判である。今回のツアーで利用したバスに関して言えば、運転手は2名交代制で、座席は広めでしかもwifiも使えた。 グナイドゥーン!オハヨウゴザイマス。 訛りこそあるが、流暢な日本語を話すトルコ人ガイド朝の開口一番のあいさつが聞こえてきた。初日の移動もあって、以降数日のスケジュールやトルコに関する基礎知識などについて紹介してくれた。ちょうどこのときは、アメリカがシリアに武力行使するかどうかがニュースとなっていた時期であったので、ガイドがやや興奮気味で1時間ぐらい反戦・反米の車内演説となってしまった。主観的な意見が多かったが、何点か今まで知らなかったことが分かったので個人的におもしろかった。さすがに1時間も政治演説をしただけに、半分ぐらいの乗客が眠ってしまった。 トルコは、いくつかの国に囲まれている。ガイド曰く、仲の良い国はないそうだ。これは、考えてみれば当たり前で、もし仲が良いなら国境線なんかないはずだ。トルコの一番のお友達は日本と言っているが、はたして日本にとってトルコは何番目の仲の良いお友達だろうか。ガイドの話でいちばん印象だったのは、黒海とエーゲ海の海峡を通る船から通過料をとれないことでした。1923年のローザンヌ条約で交わされた内容で100年後の2023年に失効するという。だから、ガイドは何度も「10年後が楽しみデス!」を繰り返していた。あと、地下30メートルまでしか掘れないので石油を掘ることができないのもこの条約のせいと言っている。 この日は、ダーダネルス海峡をフェリーで渡ってアジア側に入って、最初の世界遺産であるトロイ遺跡を観光した。トロイは、石ころばっかで正直あまり興味を惹かれるような観光地ではない。ガイドもこの点に関して同感である。ハイライトが後半のカッパドキアであるので、イスタンブールからの反時計回りのルートが昔からの定番となっている所以である。 3日目へつづく・・・ この日の一行メモ ・メルハバ こんにちの意味 ・ケシェキュル ありがとうの意味 ・カジノ禁止で離婚率が20年で35%から9%へ激減 ・7割酒を飲む ・6割祈らない ・自給率200% ・トマト日本の20分の1の価格 ・電化製品は高い、ローン購入 ・サービスエリアで初めてトルコチャイ(1TL) ・トイレは有料(1TL) ・平均寿命男68、女70 ・オリンピックスペインじゃなくてよかった ・ひまわり畑いっぱい ・サービスエリアのレストランの昼食はくそまずい ・飲み物法外な値段で腹立つ ・タンカーフェリーのチャイは0.75TL ・昔の戦争は熱したオリーブオイルを敵にかけていたそうだ ・劇場の収容人数の10倍が都市の人口
トルコの西半分を10日間で一周してきたので、そのときの写真と雑記を載せておく。
9月8日(1日目) 泊:レガシーオットマンホテル(イスタンブール) 成田からのトルコ航空直行便は、約12時間でトルコ最大の都市イスタンブールへ行ける。東京とイスタンブールの時差は6時間で、東京がお昼12時ならイスタンブールは朝の6時である。トルコの通貨単位はリラとよばれ、1リラでちょうど50円の計算である。成田空港でも両替はできるが、レートが65と非常に悪い。現地の空港でまず必要最小限に両替をして、不足になったら市中の両替所で随時両替すれば事足りる。 ホテルのチェックインを済ましてすぐに荷物を部屋に放り込んで、さっそく夜のイスタンブール市街をうろつくことにした。目的地はあらかじめ決めていた。Kizilayにあるスターバックスだ。トルコのスターバックには独自メニューのトルココーヒーがあるときいていたので、前々からどんなものかと気になっていた。インドのスターバックスにはこういった独自メニューはなかったが、チャイがインドのスターバックスで発売されるようになったら、それだけでもう一回インドへ行く価値はある。 さて、やや脱線となるが、沢木耕太郎の深夜特急という小説に、チャイについて面白い考察をされている。チャイは、中国語の茶(cha<2声>)のことである。日本は、「チャ(cha)」で、インド、パキスタン、トルコではチャイ(chai)と頭文字cではじまる。ボスポラス海峡を越えて、ギリシャに入ったとたん茶はtsai、tee、te、teaなど頭文字tからはじまる単語に変化する。チャイ一つをとっても、トルコがアジアとヨーロッパの中間に位置していると納得できる。トルコはアジアなのかヨーロッパなのかという論争は尽きないが、世の中白でも黒でもないものの方がむしろ多いので、あえてはっきりさせることもないでしょう。 Kizilayのスターバックスで注文したのは、トルココーヒーではなくカプチーノでした。いつものくせで無意識にカプチーノをオーダーしてしまった。ちなみにトールサイズは6リラ(300円)と日本より80円安い。ホテルからの散歩ルートは、アンカラ通り~ジャーロウル坂~バーブアリ通り~ディワーン・ヨル通り~アーレムダール通り~ヒュダーヴェンディガル通りでした。ディワーン・ヨル通りが特に賑やかで、土産屋やレストランなどの店が軒を連ねている。通りの右手にライトアップされたブルーモスクもうかがうこともできる。ブルーモスクの手前にあるスルタンアフメット広場には、観光客や涼を求める市民で溢れかえっている。人と人で発生するこの熱気は、アジアのどこかの都市で感じたものと同じのようで、やはりここはヨーロッパではなくアジアなのかもしれない。 2日目につづく・・・ |
プロフィール
HN:
ぜん吉
性別:
男性
職業:
割と自由なリーマン
趣味:
海外出張
自己紹介:
2006年のCCNA合格を皮切りにCCIE-RSを含めて数々のシスコ資格をパスし、2009年に念願の海外受験(ドバイ)でCCIE-SCを取得。そして、2010年に目標だったトリプルCCIEを香港の地にて達成した。今はネットワークセキュリティやデータ分析などをやっています。
■2006年の目標 CCNA(達成) ■2007年の目標 CCNP(達成) CCDA(達成) CCDP(達成) CCIP(達成) ■2008年の目標 CCSP(達成) CCIE-RS(達成) TOEIC700点(達成) ■2009年の目標 CCIE-Sec(達成) TOEIC800点(達成) JNCIA-JUNOS(達成) ■2010年の目標 JNCIA-M(達成) CCIE-SP(達成) JNCIS-M(達成) JNCIA-EX(達成) JNCIS-SEC(達成) ■2011年の目標 異動(未達成) ■2012年の目標 異動(未達成) TOEIC850点(達成) ■2013年の目標 異動(達成) CCIE更新(達成) ■2015年の目標 本を出す(達成) ■2017年の目標 TOEIC900(達成) TOEIC950(達成) ■2018年の目標 英検1級(達成) ■2019年の目標 海外勤務 |