日本ほど値段の表示がきちんとしている国は世界の中でも珍しい。後進国へ行けば、ほとんどの場合において値段の表札を見かけない。バックパッカーが集まるバンコクのカオサンやカトマンズのタメルには、値段表示する店は多くなってきたが、それでも値引きできる余地がある。
お店で値引きをする習慣がない環境でずっと育ってきたため、旅を始めたごろは物を買うという単純な行為でもストレスを感じていた。人間は基本的に無意識のうちに自分を中心に物事を考えるくせがある。店には値札があるのが当たり前で、店員にいちいち値段を聞くのはどう考えても非効率で馬鹿らしい。なぜここの人はこんな簡単なことも分からないかと、自分の中で勝手に怒りを覚えてくる。
仕方なく「いくら?」と尋ねたとしても、旅行者と分かると足元を見られ、平均価格の数倍の値段をふっかけてくる。買わずに別の店へ行っても同じことが永遠と繰り返され、物を買うだけで今まで経験したことのないような大変さを味わう。インドに行けば、さらに”騙し”と”怒鳴り合い”いうオプションも追加される。固定観念から抜け出せない限り、外国へ旅をすることは一種のストレスと感じる人が多いのはなんとなく分かる気がする。
最初は生真面目に店員に「いくら?」と訊いていたが、そのうちだんだんこの表現は都合が悪いと感じるようになった。相手の立場になってもし自分が店員だったら、値段の知らない外国人から値段を訊かれたら、きっと自分も少しでも儲けたいために相場よりも高い値段を言うだろう。それ以降、私は安直に「いくら?」を口にしないようにした。
いくつかの店を回って相場を探る手もあるが、店員の代わりに利害関係のない現地の買い物客に直接尋ねるという簡単な方法もある。カトマンズのウールショールを買った時は、現地のおばちゃんが相場を教えてくれただけでなく、さらに2割ぐらい値引き交渉も勝手にして貰ったこともあった。売る側にしてみれば、せっかくの葱カモをみすみす見逃した気分だったでしょう。あの時の店員の面白くない顔は未だに鮮明に憶えている。値引き交渉で勝利の味を味わった以来、脳をフルに動かしながら買い物をするようになった。ストレスと感じていたことも不思議に楽しむことができるようになり、旅がますます面白く感じるようになった。
今では、ハッタリという技も時々使っている。相場を知っているふりをして、値段をきかずに僅かなお金を差し出す。大抵の場合、相手は吹っかけるよりも正直に値段をゲロる。これは毎回成功する訳ではないが、相手の意表を付く、言わば奇襲作戦のようなものだ。
供給と需要のバランスで、時には相手の言い値を飲むこともある。しかし、基本的に諦めずに値引き交渉をすればくやしい思いをすることは避けられる。
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