2025-01
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やはりインドの象徴とも言えるタージマハールを見ずにして日本に帰れない。朝5時半にチャーターした車でデリーのホテルから乗り約180キロ南東方向のアーグラへ出発した。デリーは重度の大気汚染でデフォルトで視界が霞んでいるうえにさらに朝の濃霧で5メートル先は見えない。それでも車は普通に高速道路を走るのである。 3時間ほど走ったところでタージマハールから1キロ離れた駐車場に着いた。車から降りてすぐに数組の物売りに囲まれた。ジャパニー、ラクダに乗る?リキシャはどうよ?ポストカードいかが?俺、ガバメントのツアーガイドだぜ?全部無視して西門のチケット売り場へ、タージの入場料は外国人が750ルピーに対してインド人は30ルピーというあまりにもふざけた値段設定である。しぶしぶ750ルピーを支払ってシューズカバーとインド人はもらえない720ルピー分のミネラルウォーターを受けとったら、シューズーカバーのおじさんから無料のガイドも付いていると行ってきたが、無料ほど怖いものはないので断った。ゲートでは身体検査と持ち物検査がありとても厳重である。食べ物の持ち込みはなぜかだめでその場に捨てるか出口に預けないといけない。預けるふりをしてチョコをリュックに入れてゴー、インドのチェックはかなりざるなのでこちらもいい加減になってしまう。
既にアウランガーバードで偽タージを見てしまったせいで、本物を見てもいまいち感動がない。本物は大きくて重厚感があるぐらいでそれ以外は何も感じなかった。近くで大理石を触りながら思いを馳せるぐらいしかやることがなかった。タージの次にアーグラ城を見てきた。この城はなかなか大きい。見所は囚われの塔で、そこからタージマハールを遠くから眺めることができる。タージはマールを建てた王が自分の子供に囚われて余生をこの塔で死ぬまで過ごされたという。アーグラ城から出て車を待っている間にまた数組の物売りに囲まれた。暇だったのもあって相手をしてみた。大理石で作ったという象を初め800ルピーと言ってきたが、50ルピーなら買うと言い続けたら最後になんと800ルピーが100ルピーまで値段が落ちた。ここインドでは適正価格はなく自分が納得した値段で買えばいい。車が来るのが遅ければ本当に50ルピーになっていたかもしれない。 アーグラは大理石の加工も有名であるのでショップにも寄った。大理石の加工について簡単な説明を受けたあとに既製品が並ぶショップ内に誘導され色々な商品を見せてもらった。強引な物売りではなかったが値段はとても高かった。値段交渉をすればまず1割は下がるみたいである。ランチはPRIYAでマトンカレーとアーグラ名物のバナナラッシーを頼んだ。バナナラッシーは至って普通で特別うまいというわけではない。マトンを頼んだのに他人が頼んだチキンを渡されて途中まで食べてやっと気づいたときには既に時は遅かった。「サー!グッド?」と言われても、何がグッドだよテメー、チキンとマトンを間違えたくせに。そしてここの店員の態度はやたらでかい、2人同時に注文をするとなんと注文を拒否するのである。こんな悪いサービスであるが食後はしっかりとサービス料を加算してくる。デリーとアーグラを巡って感じたのは、北インドは食べ物は美味しいが、人は悪い。
食後はタージの対岸にある公園へ行き、そこから対岸のタージを見ることができる。もともとこの場所は黒大理石のタージマハールを建てる予定であったが途中で資金が尽きてしまい、基礎部分だけが残った跡地である。その次に37キロほど離れたファテープル・シークリーと呼ばれる14年間しか使われなかった都へ行った。短命の理由は水不足であるという。先の黒タージといい、インド人は昔からすごいものを作るが見積りがどうも甘い気がしてならない。 アーグラという街は注意深く観察すると実に様々な動物に遭遇することが出来る。僅かな間でも牛、ヤギ、ロバ、馬、水牛、ラクダ、猿、犬、豚、鶏、烏を見れる。インドの他の街よりも動物のバラエティーが豊富である。アーグラは135万人の地方都市であるゆえか大都市よりもさらに汚く、人々の生活も貧しいように見える。
帰り道は東のアーグラに戻らずに西のバトラプルまで下道で行って、そこから高速でマトゥラーを経由してデリーへ戻った。下道は凸凹で平均時速も30ぐらいしか出ない。マトゥラーまでの高速も下道に毛が生えた程度であるためデリーまでの帰路は往路の2倍の6時間ほど要した。インドでの旅は時間の余裕がいくらあっても足りないときがあることが分かった。