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ネットワークセキュリティやってます。技術よりも趣味と雑談が多めのブログです。最近はオンライン英会話にはまっています。

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ゴアはインドで一番面積の小さい州であり、実際にゴアという都市はないので一般的にゴアへ行くと行ったら州都のパナジを指す。先週のチェンナイはかつてイギリス人が砦を築いて東インド会社を置いた都市に対してゴアはポルトガル人がここを占拠し、モザンビークから長崎に広がるポルトガル海上帝国の首府として栄えた。かつては20万人もいた街であったが疫病で街は廃り、今のパナジへ移った。旧市街のオールドゴアには世界遺産に指定されている教会と修道院がある。ポルトガルの衰退などによりインドが武力侵攻でゴアを奪い、もろもろあって1974年にポルトガルが正式に放棄に至った。

プネからゴアへは寝台バスを使い約11時間の旅程でした。この寝台バスはSleeperと呼ばれるタイプでカプセルホテルぐらいの空間がある。道路状況が悪いので車内は相当に揺れるが意外と早く寝付けられた。通常の座席2個分のスペースを要するので値段も2倍以上、プネからゴアまでなら片道1000ルピーである。

朝の7時半にパナジのバスプールに着いた。今日は午前中に観光をして午後はビーチでゆっくり過ごすというプランでした。バススタンドのトイレは有料で1回の使用につき2ルピーが必要と料金表に明記されているがなぜか10ルピーを要求される。朝っぱらからめんどくさいなとおもいながら2ルピーだけ置いて無視してトイレから出た。パナジの街は今までのインドの街とたしかに違ってちょっとこじゃれている感が漂っている。が、同時に所々で異臭も漂っていてる。

まず最初に訪れたのが真っ白なパナジ教会で街のシンボルでもある。この日はたくさんの教会や修道院を訪れることになっているが信者のように感銘を受けることはなくただ淡々と建物を見て写真を撮っただけ。パナジ教会に15分ほど立ち寄りそのあとに南にある教会へも寄ったが1分ぐらいで見学終了。パナジの野菜市場と魚市場も観光ポイントらしいのでそちらにも行ってみた。魚市場では生ものが多いだけに臭さもレベルアップ。見たこともないような大きな魚を手掴かみで運ぶ子供にウロコをひたすら削ぎ落すおじさんなどで活気があふれるところである。そんな喧噪な場所の隅っこに両足を縄で縛られぴくりとも動かない鶏はもはや己の運命を悟ったかのようにただじっとしていた。市場見学を終えセントラルオフィス近くのCoffee Dayで少し休憩をとった。Coffee Dayはどこ行っても見かけるコーヒーチェーン店でインドではスタバよりも有名である。レジをうっておつりを出すだけで5分もかかったのはゴアも例外なくインドである証拠である。

オールドゴアへタクシーで移動して、名の知らない崩れ落ちた教会にザビエルがミイラとなって眠っているボム・ジェズ教会と聖フランシス教会を順にまわった。中学校の歴史教科書でおそらくザビエルはトップ5に入れるほど認知されていると私はおもう。彼がどんな布教活動をしたかは別にどうでもよく、見事なはげ頭に見えるあの肖像画は授業に飽きた学生達の落書き餌食となってきた。そして新しいボギャブラリーを使いたがる年頃の学生は頭が薄い先生にザビエルと名付けさせたのもザビエルの布教活動の副産物で今の日本に根強く残っている。私はそんなどうでもよいことをミイラのザビエルに報告しに来たのだ。ザビエルと別れを告げてタクシーで海岸北部のAnjunaビーチへ向かうことにした。道路では象も歩いていて、ドライバーの話によれば近くの森にはたくさんの野生の象がいて「ベリーデンジャラス」とのことである。虎はいないがジャガーはいて鹿をハンティングしているそうだ。「ベリーデンジャラス」を合計3回繰り返してくれた。お、おう!注意ベリーサンキュー

このAnjunaビーチはとくに欧米人に人気があるところである。街に入ると土産物屋にレストランにゲストハウスがたくさんあり、土産屋やタクシードライバーからの呼び込みに交じって麻薬の売人からもラブコールを受けた。麻薬が簡単に手に入れるのは州が違うだけで別国になるインドの一面である。See Wave Innでおすすめのキングフィッシュ料理を堪能したあとはビーチ沿いのバンガローで海を眺めながら本を数時間読んだ。心地よい波音に暖かい潮風はまさにこの世の天国と感じるほどであった。そして1日の最後はFort Aguadaビーチにある砦跡で沈む夕日を見てゴアの旅が終了した。

帰りも寝台バスでしたがバス乗り場が広くて実際にどこにバスがくるのかは分からないので点呼係の人と乗客に尋ねながら乗り場を突き止めた。バス内でカーテンを閉めて寝ていると、何回も合図なしでカーテンを開けて点呼をとるインド人のバス乗務員に殺意を覚えた。夜中ある場所に着くと警察が入ってきていきなり「お前降りろ」と言われたが、リュックサックを触らせたら「OK」と言った。おそらく麻薬の取り締まりだろうけどリュックサックの中身も見ずに何がOKなのか未だに不明である。あとインド人が上段のベットにあがるときに梯子があるにも関わらず人のベットを素足で踏んできたのもくそむかついた。基本的こいつら「オモイヤリ」がない。階級が上のインド人なら日本人顔負けの気遣いもできる。金太郎飴日本人とは違い人も多様である。プネのバスプールでぼったくりリキシャドライバーとひと争いしてからホテルに戻った。リキシャから降りたときに「ベリーロングだったよ」と大変さをアピールされながら50ルピーをさらによこせと言ってきたが、「Keep your promise, please!」という呪文で悪いインド人を黙らせた。

 
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今日はあまりおもしろいネタはない。強いて書くとすれば朝の食パンぐらい。朝にパンをトースターに入れて出来上がるのを待っていると宿舎のスタッフが後でテーブルまで持っていくと言ったから席で待つことにした。しかしいくら待っても自分のパンは来ない。振り返ってみるとトースターにはすでにパンが入ってなくて他のテーブルに運ばれていた。再度パンをトースターにセットしようとしたときに無情にも迎いのバスが来てしまい結局朝はチャイ1杯でした。
 
今週に入ってからインド生活に飽きを感じ始め、週前半は宿舎に篭っていたせいでこの1週間はあっという間に過ぎってしまった。来週は最後の週で色々としなければならないことが多く、それらのことに追われるだろう。最終週の週末はタージマハールで見納めして日本でぐったりと寝正月したい。ちなみ今週末はゴアへ行くことになっている。バスで11時間という長旅であるが寝床があるので一応は寝れそうである。
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ここインドでは質問することは大歓迎されるようで、授業やプロジェクトで必ず「Please feel free to ask any questions」やら「Don't be hesitate to ask any questions」を言われる。日本には「ggrks」という文化があるため質問はあまりない。むしろ「何か質問ありますか?」の言葉に質問をされたくないから空気を読んで質問をしないでくださいという意味が含まれる場合もある。今回のプロジェクトのプレゼン資料作成にあたっても都度あるごとに質問はないかと聞かれる。プレゼン内容は基本な内容でネットから素材が全部揃えるので特に質問する気はなかったのだが、あまりにもしつこく聞かれたので適当に1つ質問をしてみた。そしたら、メールでの回答が僅かに1行という簡素なアドバイスであった。日本の文化では1を質問をしたら、10ぐらいの回答を期待しても間違いのだがインドではわずかに0.5ぐらいしか返ってこない。あれだけ質問しろと言ったくせに回答があっさりしすぎて本当は社交辞令じゃないかと疑ってしまう。これだからわざわざ質問なんかするよりも自分で調べた方がいいと考えるようになるのだ。双方向のコミュニケーションとか壁が高すぎて無理ぽ。あと仕事で仕方なく対応しているオーラーをむき出しに対応する人も多くてこっちも話すのがめんどくさくなる。

夜はピザハットへ行ってきた。配達ではなくお店のピザハットでもちろん高級店の部類に入る。生地が厚くてとても胃に負担がかかるピザでした。料金も飲み物やサイドメニューを入れて600ルピーと大変高い。

 
カスタードアップルがうますぎて今日も1キロ買ってきた。上から力を加えると簡単にバラバラになってしまうため持ち運ぶ時は重ならないように注意する必要がある。日本に帰ったらもう食べれないので帰国までに毎日食べ続けるつもりである。今日のオレンジはキロ80ルピーで前より安くなったのでこれも1キロを買った。夕食はバーレストラン「Chandrama」で60ルピーのChiken Talumein Soupと120ルピーEgg Fried Riceを注文した。チャーハンは塩味と油が足りなくて美味しくなかった。おまけに玉子がまったくないというEgg Fried Riceでした。そしてまたなぜか勘定後に「グッドナイト」言われて握手をさせられた。

インドのほとんどの道路は横断歩道はないし信号ももちろんない。あっても守らないのがここの交通ルールである。交通弱者など甘ったれなことをぬかすやつは一人もここにはいない。だから歩行者が道路を渡るときは自己責任で左右の確認をしながらタイミングよく渡らなければ行けない。甘ったれ日本人はインドに来てまず道路を渡ることはできない。でも心配はいらない、ちょっとした転機でいとも簡単に道路を渡ることができる。それは、

インド人を壁にする

ことである。インド人が発進したら遅れないように中央分離帯までついて行けばよい。そしてこのままだと交通は逆になって自分がインド人の壁になってしまうので中央分離帯で再びインド人を壁になるようにサイドチェンジする。あとは壁に仕立てたインド人を100%信頼することぐらいである。

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今朝も事件です。研修先のビルがぼや騒ぎでリアル避難をした。警報が鳴ってから10分後に消防車が到着し、幸いにも大事に至らなかった。インド人にしては初動が速いことに驚かされた。インド人のレジ打ちのトロさから想像も出来ないぐらい光速な速さだった。

今日は会社ではずっと英語の最終プレゼンのネタを考えていた。テーマはインドでの体験とビジネスカルチャーである。今のところ9枚のスライドの構成を予定しており、内8枚は食べ物と旅行というワイルドな内容である。写真を一杯入れて見て楽しい内容に仕上げて行くつもりである。

宿舎に帰ったすぐに昨日買ったカスタードアップルを試しに食べてみたところ、香ばしいうえに甘くて美味しい。これはインドに来てから食べたもののなかで一番美味しい、なんだかくせになりそう。昨日の夕食は日本から持参したインスタントラーメンでした。醤油味が美味しすぎて今日もインスタントラーメンを食べてしまった。スパイシーもいいがやっぱ醤油は最高だ。あと納豆、生卵、ご飯(日本米)、のりがあれば無敵で素敵な海外ライフをエンジョイでいる。研修で何かを習うよりも日本での日常生活の有り難みを認識できる方が自分にとっては一番の収穫となるだろう。日本の無駄に便利な生活、無駄に親切な接客、無駄に清潔な環境、無駄に安全な社会などなど。若者が海外へ行きたがらないと嘆いている人が多いが、むしろ行かなくて正解かもしれない。だが行ってみないと正解かどうかは分からない。

著書




プロフィール
HN:
ぜん吉
性別:
男性
職業:
割と自由なリーマン
趣味:
海外出張
自己紹介:
2006年のCCNA合格を皮切りにCCIE-RSを含めて数々のシスコ資格をパスし、2009年に念願の海外受験(ドバイ)でCCIE-SCを取得。そして、2010年に目標だったトリプルCCIEを香港の地にて達成した。今はネットワークセキュリティやデータ分析などをやっています。

■2006年の目標
CCNA(達成)

■2007年の目標
CCNP(達成)
CCDA(達成)
CCDP(達成)
CCIP(達成)

■2008年の目標
CCSP(達成)
CCIE-RS(達成)
TOEIC700点(達成)

■2009年の目標
CCIE-Sec(達成)
TOEIC800点(達成)
JNCIA-JUNOS(達成)

■2010年の目標
JNCIA-M(達成)
CCIE-SP(達成)
JNCIS-M(達成)
JNCIA-EX(達成)
JNCIS-SEC(達成)

■2011年の目標
異動(未達成)

■2012年の目標
異動(未達成)
TOEIC850点(達成)

■2013年の目標
異動(達成)
CCIE更新(達成)

■2015年の目標
本を出す(達成)

■2017年の目標
TOEIC900(達成)
TOEIC950(達成)

■2018年の目標
英検1級(達成)

■2019年の目標
海外勤務








英会話







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